そらかげ

06.神の思惑。



青年の行きつけの店、クローバーのカウンターに
ほのかな灯りがともっていた。
カウンターの席に座ってグラスを傾ける青年に、
ウェーブのかかった黒髪の女性が身を乗り出した。








「でも、よかったじゃない」








マリアの言葉にシキトが首をかしげた。
その表情は不思議そうだ。


「だって、悪魔っていうのがラスボスじゃなかったってことでしょ?」
「ああ、そのことね。でもそれはそれで厄介なんだよね」
「あら、どうして?」


不思議そうに問いかけてくるマリアに、
青年はグラスを机の上に置いた。










「人だったら感情がある。でも武器にはない」










戒めを解かれたものが、解いたものに従うかはわからない。
でも感情のない武器はただ使い主に従って動くだけ。
己の主を、選ぶことはできない。






「だから先に武器を奪われたら、けっこう危ないんだよね」






グラスの中で揺れる氷を見つめながら呟くシキトに、
女性は背筋を伸ばして、人差し指を立てた。












「武器は使う主を選べないけど、その武器の強さは使い主によって決まる」












真剣な声音にシキトが顔を上げた。
そんな青年にマリアは勝ち誇ったように微笑んでみせた。


「マリアちゃん?」
「昔、シキトちゃんが教えてくれたことよ」
「そうだっけ?」


怪訝そうな青年を見つめて、思い出す。
あれはまだ青年が今以上に人と関わることを避けていたとき。
武器の性能に愚痴を零す金髪の友人に、彼が言った言葉。










『武器が弱いのは、あんたが迷ってるからだよ』










自分の弱さを武器の所為にして、逃げてるんでしょ。
そのときの彼の眸は、すごく冷たくて、ガラス玉みたいだったけど、今は違う。
ちゃんと見てくれるようになった。
そして少しだけ、優しくなった。
そんな彼の変化が嬉しくて、大丈夫よと囁いて微笑む。












「武器に頼らないと勝てないような人たちに、シキトちゃんは負けないわ」












心が強くなったあなたなら、大丈夫。
呆気にとられたように目を見開く青年に顔を近づけて囁いた。


「・・・変わらないよね、必要以上に顔近いの。
 おれ苦手だって言ってるのに」
「あら、シキトちゃん限定なのよ」
「そんな限定いらないよ」


バツが悪そうに視線を逸らす青年がおかしくて堪らない。
くすくすと笑みを零すマリアに、シキトが溜息を零した。










*     *     *     *     *










用事があると言って立ち去ったティスタを見送って、
ルシアは大きな溜息を吐いた。


「ん?なになに?悩み事でもあんの?」
「えっ?」
「なんか、豪快な溜息だったから」


隣で一緒に少女を見送っていた金髪の少年の言葉に目を見開く。
勘が鋭いのかただ目聡いだけなのか。
満面の笑顔に見つめられて、ルシアは苦笑した。










「悩みとかじゃないですけど。
レオさんたちに比べるとまだまだだなーって思って」










ベンチに腰掛けて吐き出した少女に、
レオは呆然と目を見開いた。


「レオさんとティスタさん、ちゃんとお互いのこと理解し合ってて」
「オレとティスタが?そりゃ、パートナーだし・・・」
「わたしだって、シキトくんとパートナーなのに。
 全然シキトくんのことわからないし」


俯いてしまったルシアの言葉にようやく理解した。
レオたちの仲のよさを見て、不安になったんだろう。












「だいたいシキトくんって自分のこと全然話してくれないし。」












なんか一方通行っていうか。
だんだん、怒りが含まれてきた彼女の声音に苦笑する。


「どう思います?レオさん」
「ん〜、とりあえずレオさんっていうの、やめない?」


なんか、むず痒い。
顔をしかめる青年に、ルシアは目を見開いた。


「オレのことはレオって呼び捨てでいいから、ほんとに」
「は、はぁ・・・」
「んで、シキトだけど。べつに隠してるわけじゃねぇよ、あいつ」


確かに過去いろいろあったかもしれないけど。
今もいろいろなことに考えをめぐらせて、
難しい表情をしているかもしれないけど。
秘密主義なわけじゃない。
自分のことを人に話せないほど、弱いやつじゃない。
彼なりに踏ん切りをつけて前に進んでいるはずだ。










「でも思い出していいことなんかないし、気にしてないだけだと思うぜ?」










周りのことなんて考えない、
マイペースで自分勝手なヤツだから。


「それにオレに言わせればさー」
「なんですか?」
「ルシアちゃんは、びっくりするくらいシキトのことちゃんとわかってくれてるよ」


それと同じくらい、きっとシキトも。
心の中で呟きながら、思わず口元が緩む。
そう、それはおもしろいくらいに。


「知りたいなら、本人に聞いたらいいと思うよ」
「えっ!?」
「言わないくせに、自分の知らないところで調べられたりすると怒るから」


ほんと勝手だよなー。
そう言って苦笑しながらも、どこか嬉しそうな青年に。
首をかしげながらも、何故かすごく心が暖かくなった瞬間だった。










*     *     *     *     *










まだ太陽は沈みきっていない。
なのに店の外が騒がしい。
ここの人たちが活発に働き出すのはまだ早いはずだ。








「それでシキトちゃん、その武器を見つけたらどうするの?」








マリアの問いかけに、扉から視線をはずす。
女性はいつもどおり笑顔だけど、その眸は少し不安そうだった。


「本部に持って帰ってくるの?」
「まさか。見つけたらその場で壊すよ」


ティスタの情報に間違いがないことは知っている。
彼女のことはそれなりに信用していた。












「そんな危険な武器、本部になんか渡せない」












彼女が言うように危険なら。
味方であるはずの本部にも、敵である犯罪者にも渡せない。
教会の本部にいる、上層部の人間がなにを考え出すがわかったもんじゃない。
己の敵は片方だけじゃない。
犯罪者にも、本部にも武器を渡すわけにはいかない。






そのとき、バーの扉が開く音がした。






お客を出迎えるためにそちらに視線を向けた
マリアの息を呑む声がやけにはっきり聞こえて、目を細める。
外が騒がしいのは、こいつの所為だったんだ。















「それは困るのだがな、シキト・レヴァンヌ」















低く威圧感のある男の声。
黒い修道服に身を包んだ、教会上層部の人間。
男は静まり返った店に躊躇うことなく足を踏み入れ、
青年の目の前で立ち止まった。








「おまえには、悪魔をそのままの状態で持ち帰ってもらう」








顔を隠すためのフードの闇の中。
射抜くようにシキトを睨むその眸はぞっとするほど冷たかった。














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