そらかげ

04.その瞳にうつる。



きみのまっすぐなその眸に、
この世界はどう写っているんだろう。








「おまえのお兄ちゃん、あれ、なにしてんの?」








冷やかしが含まれる言い方で肩に腕を回される。
机に肘を突いて冷めた眸でその少年を見つめていた男子生徒は
重く深い溜息をもらした。


「知らねー。ぬいぐるみでも作ってんじゃね?」
「おまえの兄貴、ほんと変わってるよなー」
「ほんと智樹と似てねーよな。双子なのに」
「まあ、似てても困るわな」


そう話題の少年は正真正銘、双子の兄。
せっせと裁縫に勤しむ姿は弟からしても、呆れるしかない。
まあ、もとから呆れてるんだけど。


「あんなん、兄貴じゃねーよ」
「冷たいねえ。双子なのによ」
「うるせーよ」


見た目も、成績も運動神経も雲泥の差。
双子なのに似てるとこがは限りなく少ない。






あんな兄でも、昔は仲がよかったっけ。






今思い出せば、なんで懐いていたのかわからないくらい不思議だけど。
幼い頃は確かに仲がよかった。
いつから、こんなことになったんだっけ・・・・。
いつから兄を軽蔑するようになったんだろう。








「山本くん」








ぼうと考え事をしていたら、静かな声で名前を呼ばれた。
もちろん、兄に話しかける生徒は少ないから、智樹は当然のように顔を上げる。
でも呼ばれたのは自分じゃなかった。


「・・・・鈴木芽衣」
「ん?ああ、鈴木ね。おまえのにーちゃんと仲いいよな」
「それがこの上なく不思議だ」
「勿体無い気がするよね、何故か」
「・・・・気まぐれだろ」


双子の兄・山本智也に話しかけたのは
長い黒髪を無造作に伸ばした顔立ちの整った少女。
目立つタイプの子じゃないけど、
頭が良くて、静かで大人しい大和撫子だった。




智樹が唯一苦手な少女だった。










*     *     *     *     *










家に帰ってくると、
智也の猫背の丸まった背中が見えた。


「あ、おかえり。智樹」
「・・・・・」


こういう挨拶はいつも一方通行だ。
智樹が返事を返すことは、まったくと言っていいほどなかった。
すこしだけ気になって智也の手元を覗き込むと
学校でも作っていた熊らしいぬいぐるみがあった。








「あのさ、そんなん作んのやめてくんない?」








冷たく言い放った少年の言葉に
双子の兄が驚いたように目を見開いて振り返った。


「でも、これはね・・・・」
「いいからやめろって言ってんだよ、気持悪い」
「・・・・ごめん」
「迷惑だから。目立たないようにしてくれよ」


からかわれるのはこっちなんだ。
理不尽な智樹の言葉に智也が言い返してきたことはない。
それも智樹の苛立ち大きくした。


「でもね、智樹。これは・・・・」
「うるさいな」


作りかけのぬいぐるみを見せて
説明しようとする双子の兄を鋭く睨みつけた。










「おまえうざい。消えろよ」










自分でも驚くほど冷たい言葉に、
言ってから戸惑った。
反射的に智也の様子を伺うが、
その表情からはなにも読み取ることができなかった。


「わかった。ごめんね」
「・・・・・・」


哀しそうな表情をして謝った兄に
智樹は呆然と目を見開いた。
動揺から立ち直れない智樹を無視して智也は静かに家から出て行った。
静かに扉がしまる音だけがはっきりと耳に届いた。




その瞬間から、智也は智樹の前から姿を消した。










*     *     *     *     *










印象の薄い人間は、こんなにもあっけなく皆から忘れられるもんなんだ。
智也がいなくなって、まだ3日しか経っていないのに。


「って、俺も忘れればいいだけか」


兄のことなんてどうでもいいし。
頭ではそう思っているのだが、何故か心がついてきていない気がする。
智也の名前すら出てこなくなった教室で、
みんなから忘れられた智也のことを考えていた。






なんで、忘れられないんだろう。






心がざわざわして落ち着かない。
それは兄が消えて時間が経つほどに酷くなっている気がした。








「山本くん」








ぼうとしていた頭が静かな声に呼び戻される。
声がしたほうを振り返ると、そこには意外な人物がいた。


「鈴木・・・・」
「ちょっと話があるの。いいかしら?」
「・・・・べつに、いいけど」


本当は、全然良くない。
彼女は今一番話したくない相手だった。






「智也くんのことなんだけど」






ほら、やっぱりきた。
人気の少ない廊下に移動した瞬間の少女の言葉に
智樹は思わず表情をしかめた。


「旅行に行ったって、ほんとなの?」
「・・・・なんで?」
「だって、そんなのおかしいわ」
「だからなにが?」


他のクラスメイトは3日で兄のことを忘れたのに、
この少女がどうしてそこまで智也のことを気にかけるのか、
智樹にはまったくわからない。
少年のイラだった様子に少女は眉を寄せた。










「だって、あなた今日誕生日でしょ?」










予想もしてなかった彼女の言葉に
智樹は目を見開いた。


「は・・・?」
「智也くん、あなたの誕生日にあなたが昔欲しがってたものを
 プレゼントするんだって、楽しみにしてたの。」
「昔欲しがってたもの?」


まったく意味がわからない。
だんたん付き合ってるのか面倒くさくなってきた。
せっかく兄がいなくなって精々してるというのに。


「ぬいぐるみよ。くまのぬいぐるみ」
「・・・・はあ?」
「あなたが小さい頃に欲しがったものよ」
「・・・・・・」
「お母さんと同じものが欲しかったんでしょう?」
「・・・・母さんと?」


なんとなく、思い出してきた。
智樹たちの母親は熊のぬいぐるみをとても大切にしていて、
幼い智樹にはそれがとても羨ましく見えた。
特に思い出もないのに、母親の真似をしたくなったんだ。
それで、兄にぬいぐるみをせがんだことがある。


「約束したって。」
「え?」
「あなたにいつか、くまのぬいぐるみをプレゼントって」
「約束・・・・」


確かに、約束した。
兄が絶対にいつかあげるからね、って微笑んでいたのを覚えている。
そのときの智也の笑顔がとても暖かかったから。












「だから智也くんがその約束を破って、一人で旅行に行くとは思えないの」












きっぱりと言い切った少女の言葉に
身体中に電撃が走ったような気がした。
あのぬいぐるみには、そんな意味があったんだ。
それなのに、俺は・・・・。


「ねえ、智也くん、ほんとはどこに行ったの?」
「・・・・俺、探してくる」


え、と声を上げる少女を無視して智樹は駆け出していた。
どこに向かっているのか、自分でもわからなかった。










*     *     *     *     *










気がついたら自宅の前にいた。
荒くなった息を整えながら、ゆっくりと兄の部屋に入る。




「・・・・やっぱり、いない」




・・・・いるはずがない。
そうわかっているのに、心の奥底では期待していた。
でもここじゃないとしたら、智也がどこにいるのかまったく見当がつかない。
智樹は双子の兄のことをなにも知らないんだ。
ということを改めて痛感した。








「智樹・・・・?」








他を探さないと、そう思い部屋に背を向けたとき、
聞きなれた自分とよく似た声が耳に届いた。


「は・・・?」
「あ、ごめん!まさかこんなに早く帰ってくるとは思わなくて・・・・」
「兄貴・・・・・」


急に焦ったように弁解し始める智也に
智樹は目を見開いたまま、固まった。
智也は今まさに自分の部屋に帰ってきた瞬間だった。


「なんで・・・どっか行っちまったんじゃなかったのかよ?」
「それが、行くとこなくて・・・・」


ずっと、この部屋に隠れてたんだ。
そう気まずそうに話す智也に、全身から力が抜けた。
なんだ、こんな近くにいたんだ。
そういえば、兄の部屋になんて入ることがなかった。
智也がいるときも、いなくなってからも。


「あ、そうだ。これ・・・・」
「は?なに?」
「どうやって渡すか困ってたんだ」


どこかホッとしたような笑みを浮かべて
差し出されたものに、智樹はすこしだけ口元が緩んだ。










「誕生日、おめでとう。智樹」










そう言って智也が差し出していたのもは
すこし歪な手作りのくまのぬいぐるみだった。


「約束、これで守れたね」
「・・・・・・」
「じゃ、僕、もう行くよ」
「は?どこに?」
「それは、わかんないけど・・・・」


困ったような智也の表情に智樹は自分の言った言葉を思い出した。
兄は自分の言った理不尽な言葉を
忠実に守ろうとしてくれているんだ。


「もういいよ。俺が悪かった」
「え?」
「俺の言ったことなんて気にしなくていいから。」
「・・・・じゃ、ここにいていいの?」
「俺の許しがなくたって、ここは兄貴の家でもあるだろ」
「・・・・ありがとう」
「べつに」


ありがとう、と言うべきは自分のほうなのに。
智也はすこし素直すぎる。
智樹はバツが悪そうに頭を掻いた。


「それにしても、よくこんな昔の約束覚えてたな」
「覚えてるよ。智樹は僕のたった一人の兄弟だもの」
「・・・・・あっそ」


そういえば、幼い頃から智也は
何かにつけて智樹の世話を買って出ていたっけ。
仲が良かった子どもの頃を思い出して
思わず、記憶に焼き付けるように智樹は目を閉じた。








「誕生日おめでとう。兄貴」








素っ気無く言った祝いの言葉に
智也は眩しそうに眸を細めて微笑んだ。
たまに、思うことがある。
兄のその暖かい眸に、俺やこの世界はどう映るんだろう、って。
俺たちとは違うようにきらきらして見えるんだろうか。
なんて、すこし羨ましくなってみたりもする。






俺たち、仲が良かった子どもの頃に戻れるかな。






きっと戻れるだろう。
だって俺たちは世界中でたった2人の兄弟だから。